FPの”え”の字も知らない僕がFPになったわけ①

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ちょっと長いけど・・・読んでくれたら僕ってこんな奴って知ってもらえると思います。経営者になろうと思ったキッカケ
幼少期、僕はおそらく僕はごく普通の子だったと思う。やんちゃ?何それおいしいの?
ただ高校時代、父がリストラにあって高校に支払うべきお金が落ちていなかったことを担任に伝えられ、

「は?俺の家もついにそこまできたのか??うちそんな金ないの???」

と衝撃が走ったことがあったんだ。

それからというものの、家に帰れば両親はほぼ毎日お金のことで喧嘩・・・。
姉弟3人で
離婚とかしたらどうするんだろう・・・?どっちについて行く?」
などと日々笑えない会議三昧

お金がないってだけで、こんな経験するなんて
「やってらんねーー。ふざけるな!!」
って思ってた。
こんな思いするぐらいなら将来絶対金持ちになってやる!!

うーーん金持ち・・・なら社長だな。
社長になるかぁ・・・よし!
“経営者”になろう!
と単純に決心した高校1年の冬

(まぁ家族のことはいつか機会があれば話しますが、色々とあって父が単身赴任をすることになりなんとか家族離散は免れました)

大学生活・・・とあるキッカケにより就職先を決定

高校時代僕はゲームが大好きだったこともあり、プログラマーかつ経営者になりたいと思い、
大学は電気電子工学科に入ることを決め入学した。

けど、入って実験や研究、プログラミングと学んできたけど机の上でカチャカチャ行うのはどうも性に合わなかった。

それ以上にサークルや校外活動、バイト等で多くの人との出会い、
様々な人と良質な人間関係を築き、充実した経験ができたことがプログラマーという道から、
対人と接するような仕事がしたい!と方向転換したと思う。

僕は大学院卒業までの6年間、新入生が新居先を決める際のサポーターとして賃貸斡旋を行ってきた。
そこで直接後輩や、その親御さんと関わることができ、学生生活や勉学、バイトや恋愛など僕の経験を伝え感謝される喜びを知った。

そしてその中で一つだけ忘れられないエピソードがあった。

とある女の子の住まいを決めるときに、見た目や性能、値段も手ごろで非常に良い住まいがあったんだけど、身長が低いこともあったせいか台所の上棚や、押し入れに手が届かなかったんだ。

その子の親御さんが「こんなに良い物件だったら仕方ないでしょ。これぐらい我慢しなさい。」
と言い、新居は決まった。

けどそれから何故かモヤモヤがずっと貯まっていて、感じたことは
「賃貸はすでにできている部屋を、クライアントさんに提供している。ってことは本当にお客さんに合わせた住まいの提供ではないな・・・。」

”だったら、最初の0から1を作り、1人でも多くの人が望む生活を提供できる住まいを提案できる仕事に就こう!
営業だったら経営のノウハウも学べるだろう!!!”

そう思って電気やプログラミングのことはほっぽり出して、2ヵ月間真剣に勉強し、在学中にFPや宅建を取得。

どうせやるなら全国トップに立たないと面白くないな。。。
そう思って第一志望の会社の当時全国1位の営業マンにmixiでアポを取り会いに行って
業界の話や仕事の内容など聞きに行きました。非常に貴重な体験でしたね。

そして就職氷河期を乗り越え、晴れて第一志望の大手ハウスメーカー新築住宅営業マンになった。

よし!これから色々なお客さんのマイホーム作りの手伝いができる!
「やってやんぜ!」
と意気込んだ新入社員1年目の春。

ここから僕の新社会人1年目がスタートする。

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